貧困など社会的援護を必要とする人々(主として子ども)が、新しい希望と信頼をもって自立し、 包み支え合う家族やコミュニティーを実現させていくように、教育的・福祉的援助を行っている、東京都認定のNPO法人です。
“アジア貧困地域の就学・生活支援活動のいま”について、HFI理事長の福井誠さんと事務局の佐々木美佳子さんにお話をお伺いいたしました。
■都市部の貧困対策
――――フィリピンでは、仕事を求めて都市部にやってくる人が多いと伺いましたが、都市部のスラム地域の様子についてお教えください。
福井:私たちが支援しているセブ島のマンダゥイ市という海沿いの町には、地方から仕事を求めて来た貧困層の人たちがスクォッタエリア(無断居留地)と呼ばれる居住区を形成しています。ここでは、土地を持たない貧困層の人たちが、海の上にある壊れた船の上に柱をさし、板を貼って、その上に掘っ立て小屋を造って住んでいます。
掘っ立て小屋はトタンや木の板で造られた、六畳ほどの小さなものです。しかし、子どもが多いので、小さな小屋の中に10人もの家族が住んでいることも珍しくありません。また、衛生環境が悪く、トイレも垂れ流しのため、子どもたちはデング熱などの感染症にかかりやすくなっています。実は、このエリアのすぐ裏には白浜の広がったビーチがあって、近くにある高級ホテルに宿泊する日本人観光客も多いのですが、スラム地区と海と繋がっているため、現地の人は海には絶対に入りません。海はきれいに見えますが、大腸菌は目に見えませんからね。
――――スラムの方たちは、ビーチの方に働きに行ったりはしないのでしょうか。
福井:できないですね。フィリピンは日本以上の学歴社会のため、大学を出ていないとコンビニの店員にもなれませんが、スラム地区の人達の場合、小学校を出ていればよい方です。
以前、スラム地区の子どもにお母さんの職業を聴いたことがあったのですが、“お母さんはランドリーレディーです”と答えたので、町の洗濯屋さんを想像したところ、実際には、家の近くに大きなたらいを用意して洗濯板で洗濯をしているだけだったということがありました。それでも、一日200ペソ稼ぐことができますので、子ども5人の一日分の食費にはなるのです。ただし、男性の就職事情は女性よりも厳しくて、仕事がなくて昼間からふらふらしている人が大半です。その結果、お母さんが稼いだお金を博打や覚せい剤に使ってしまうことも少なくありません。
食生活はお米が主食ですが、お米を買えない家庭では、コーンを砕いたものを主食にしていることもあります。おかずの多くは魚の干物を油であげたものやギナモスという小魚(しらす)を塩に漬けたものが多く、塩分が多いために高血圧になりやすい傾向にあります。
スラム地区を見て感じることは、障がい児が他の地域よりも多いことです。これは、幼少時にウイルス性感染症にかかったり、風邪をこじらせても病院に行くことができないため、耳が聞こえなくなったりして、障がい児が増えているようです。それ以外にも、ビタミン不足で肺に異常ができたり、お腹に寄生虫が沸いていたりする子どもも多くみられます。
――――ほかにはどのようなスラム地区があるのでしょうか。
佐々木:以前、NHKでも報道されましたが、有名なものとして、お墓のスラムがあります。番組では、“こんなに悲惨な環境で生活している人たちがいる”と紹介されていましたが、実際に私たちが視察すると、案外楽しそうでした。
“お墓の中に住んでいる”というと暗いイメージがあるかもしれませんが、フィリピンの場合、一旦、埋葬したらお墓参りには行きませんし、富裕層の方たちのお墓ですので、想像以上によい環境なのです。
例えば、お墓があるため水道が使えるし、周りにお店を出している人もいるので買い物もできます。フィリピンの場合、お墓に棺がそのまま置かれていますので、棺を食卓として利用している人もいます。なかにはフィリピンの大学に通っている子もいると聴きました。
――――スラム地区に住んでいるからといって必ずしも不幸というわけではなさそうですね。
福井:フィリピンのスラム地区では、昔の日本のように貧しくて、互いに助け合って生きています。そのため、長屋で近所の子どもたちが走り回っていたり、テレビのある家に集まったりという光景が日常的に見られます。私が小さい頃の日本は、お寺の境内に紙芝居屋さんが来ると、子どもたちが集まっていたのですが、いまは紙芝居屋さんが来ても、変なおじさんがいると言われてしまう時代ですから、人とのつながりは薄くなってきているのではないでしょうか。
また、フィリピンの人たちは、家族を大切にしますので、“日本では歳をとると老人ホームに入ります”という話をすると、“重度の障がいでもあって家族と暮らせなくなったのか?”という反応が返ってきます。
佐々木:貧困というと悲惨な状況ばかりがクローズアップされがちですが、実際にスラム街にいくと、フィリピンの人たちの方が日本人よりもずっと、家族みんなで寄せ合いながら幸せそうに暮らしているように感じます。
――――私たちは、一方的に支援する側と考えがちですが、実際には、スラム地区に住んでいる人たちから学ぶことも多いのですね。
福井:そうですね。そのため、スタディーツアーといって、若い人たちをフィリピンやネパールに連れて行って、現地の人たちと交流する活動にも力を入れています。