【伝統工芸見学】東京手描友禅 隆生きもの工房

インタビュー
鎌滝さんは東京手描友禅作家として、これまで数多くの作品を制作されるとともに、友禅教室を開催し、友禅染技術の普及にも尽力されています。本日は、友禅教室にお邪魔して、東京友禅の魅力についてお話を伺いました。
 
鎌滝 隆(かまたき たかし)さん
雅号:隆 生(りゅうせい)
東京手描友禅 伝統工芸士、手描友禅染作家
所属:東京都工芸染色組合
資格・認定:東京都マイスター、東京都認定伝統工芸士、東京都文京区伝統工芸会会員
令和2年 内閣府より、「瑞光単行賞」を授与される。
友禅とは
友禅とは布に模様を描いていく技法の一つです。
友禅には産地による特色があり、東京友禅(東京)、京友禅(京都)、加賀友禅(金沢)が三大友禅と呼ばれています。
友禅の歴史は古く、江戸時代、京都の扇絵師である宮崎友禅斎が、自分の画風を染め物に生かしたことで「友禅染」が誕生します。その後、参勤交代によって京の友禅染が江戸にもたらされ、後年、友禅斎が友禅の技術を加賀に持ち込んだこととで加賀友禅が生れます。
友禅染の特長は、色をたくさん使用するにあたり、隣り合う色が混ざらないよう、色の境界線上に糊を置く技法を用いるところにあります。この境界線を「糸目」と呼び、境界線の中を筆で染めていく作業を「色押し」といいます。
色押しが終わると、高温の蒸気を当てる「蒸し」、その後、生地全体を染める「地染め」という工程があります。
京友禅ではこれらの工程を分業制で行いますが、東京友禅(江戸友禅)では、一人で行うことが多いのが特徴です。
濃紺地の月下美人(鎌滝さんの作品)
孔雀の柄、ローズ地(鎌滝さんの作品)

――――手描友禅染作家の方の修行時代については、今の人はなかなか想像がつかないのではないかと思います。まず最初に、鎌滝さんが友禅の道に入られたのはおいくつの頃でしょうか。

鎌滝:友禅の世界に入ったのは17歳のときです。生まれは横浜、育ちは埼玉ですが、小さいころから絵を描くのが好きでしたので、将来は絵に関係した仕事をしたいと思っていました。しかし、埼玉の田舎では、絵を学ぼうとしても良い先生がいらっしゃいませんでしたので、父が取り寄せてくれた通信添削の教材を使って絵を勉強していました。
あの頃はネットなんてありませんので、父は新聞か雑誌の広告を見て教材を探してくれたのではないでしょうかね。

――――その頃に描いていた絵というのは絵画でしょうか、それともデザイン画の方でしょうか?

鎌滝:デザインの方ですね。例えば、小説があって、この小説に対してどのようなカットでデザインを描くかという課題が与えられて挿絵のようなものを描いていました。私が絵の勉強をしているということを父が知人に話したのでしょうね、暫くすると「あそこのお宅のお子さんは絵を描くのが好きだよ。」ということで、私を東京の友禅の先生に紹介してくれる方が現れました。
もともと情報の少ない田舎では自分の好きな勉強はできないと思っていましたし、将来は都会に出て勝負したいとも思っていましたので、弟子になるために、地元の高校を辞めて東京の高校に入りなおしました。小さいころから身体が弱かったので、身体に負担のかからない絵の世界なら勝負できるだろうという思いもありました。
弟子入りしてからは、新宿の工房に住み込んだのですが、弟子は私の他に二人いました。昔はどこもそうでしたが、住み込みの弟子入りは給料制ではありません。小遣いを頂いて、住むところも食べるものも与えられるという環境で修行に専念します。まあ、通いなら給料制というのもあったようですが、当時は非常に少なかったですね。
入門すると最初は何もできませんので、まずは先生の仕事を見るところから始まります。先生はとても穏やかな方で、怒鳴られることはありませんでしたが、仕事を見ていないと「駄目だよ」と言われることはありました。
当時は私も若かったので、先生に無鉄砲なことを言ったりすることもありましたが、先生は私の言葉を聞き流してくれていました。その姿を見てほんとうに気持ちの大きな方だなあと思ったものです。

――――実際に筆を持って作業ができるようになるには入門されてどのくらい経った頃だったのでしょうか。

鎌滝:私の場合は割と早くて、入門して半年経ったくらいからでした。それも、練習はなくて、最初から商品になるものを扱いました。
筆を握ると、まずは、白いところだけを塗るとか、赤いところだけを塗るというように簡単な作業から始めます。もちろん、そのまま商品になるものですので、先生も見ていないようでしっかりと見ています。
あるとき、先生に「何も言わないけど本当にいいのですか?」と聞いたことがあるのですが「何も言わないときはできているから良いのだ。ダメな時は注意する。」と言われました。
工房は分業制でしたので、作業に慣れてくると先生が下書きした後の色を塗る作業は殆ど任されるようになりました。仕事は8時30分頃から始まって、途中休憩を挟みながら、夜の8時30分頃まで続きます。作業中はラジオや音楽を聴きながらやっていましたね。これには癒しのような効果があったように思います。
先生は落語が好きでしたので、一席終わると私に「聴いてみろ。」と言って、先生の落語を聞くこともありました。
また、先生は犬を飼っていましたので、「ちょっと犬の散歩に行ってきます。」と言って、仕事中に散歩に行って気分転換をすることもありました。あるときなどは、先生とお父様が将棋をさしていて、私がお二人の姿をスケッチすることもありましたね。このように自由な雰囲気でやっていましたので、一日の作業時間が長時間ではあっても長く続いたのでしょう。

――――先生の所で10年間修業されたとのことですが、その後、独立に至ったきっかけについてお教えください。

鎌滝:入門して8年目くらいから自信がでてきて“一人でやっていきたい”という気持ちが出てきたのですが、先生には非常にお世話になっていましたので、その後の二年間はお礼奉公というかたちでお仕えしていました。当時は暗黙の了解のように、皆、技術を覚えた後も先生のところで奉公していたように思います。

――――独立されてからの商売はすぐにうまくいくものなのでしょうか。

鎌滝:先生について学んだものだけでは対応できないこともありましたので、独立後、新たに勉強したことも沢山ありましたね。基本的なことは先生に学んでいましたが、さまざまなものに対応していく応用力の習得が大変だったと思います。また、独立すると自分でお金を出して制作にあたりますので、失敗したら全部自分でかぶらなくてはいけません。そのため、これは本当に厳しい仕事だなあと思ったものです。

――――次に実際の作品造りについてお話をお伺いしたいのですが、友禅では、下絵を描いた後で、染料が他の模様の色と混ざるのを防ぐために、デザイン線の上に糊を置いていく「糸目糊置き」という工程が特徴的かと思いますが、実際にはどのように行っているのでしょうか。

鎌滝:まず図案を作成し、藍花で下書きを描きます。その後、糸目糊置きといって糸目糊を使って模様の輪郭をなぞり、隣り合う色が混ざらないようにします。
糸目糊はセロファンのような素材でできた筒の中に入れて、これを指で押し出しながら糊を置いていきます。昔はセロファンのようなものはありませんでしたので、和紙に防水のための渋を塗ったものを容器として使用していました。この作業は一見、簡単なように見えますが、一定の太さの糊を出し続けるのが非常に難しく、長時間、糊を絞り出すのには握力も必要です。
昔は糸目糊にもち米でつくった糊を使用していましたが、いまは樹脂でつくったゴム糊を使用することが多くなりました。これは扱いが楽なのですが、水で落ちませんので、ドライクリーニングで落とす必要があります。ドライクリーニングは臭いが強くて、身体によくないので、この工程は専門業者に依頼するようにしています。
糸目糊置きが終わると、地入れといって、デザイン線の内側の模様に染料液をさしていきます。その後、地染めといって、染料液を生地全体に染め付ける作業を行います。
染料は学校の美術の時間に使う水彩絵の具と違って、水で洗っても落ちません。普通の絵の具の場合、繊維の表面に付着するだけですが、染料は繊維の中に入っていくからです。
これはイオン結合によるものですが、生地がマイナスイオンで染料がプラスでイオン結合します。その後、熱を加えることによって結合が促進していきます。そのため、一旦、染料が生地の中に入るともう落ちません。日光で色があせることはありますが、色そのものは落ちないのです。

糸目糊置き

――――地入れに使用する銀色は本物の銀を使用しているのでしょうか。

鎌滝:銀を使用すると作品自体が高価になることと、酸化して黒くなるためあまり使用しません。銀色はアルミとか雲母などで代用することが多いですね。
また、金色に純金を使用することもありますが、純金の場合、狭い範囲だけでも数万円もかかってしまいますので、銀同様、よほど高価な作品でない限り使用しないですね。
また、地染めの作業では、生地が5mあるとすると、5mの広さの作業場がないと染められません。
着物の生地の場合、幅は38㎝ですが、長さは最低でも13m必要です。普通の家では、13mの広さを確保することはできませんよね。そのため、この工程には専門家がいて分業しています。
私の場合、地染めが終わった生地を蒸し機にあてて、染料を定着させるところから、水処理を行って糊を落とすところまでを専門家に依頼しています。

――――デザインも一から考えているのでしょうか。

鎌滝:私の場合、デザインも一から考えています。紙に書くのではなく、頭の中でデザインや配色を決めてから制作を開始することが多いですね。

――――インスタグラムを拝見しますと、お花の写真たくさんありましたので、普段からお花を見ながらデザインを考えていらっしゃるのだろうなと感じたのですか・・・。

鎌滝:私は花が好きなものですから、いつか作品に使おうと思って、たくさんの花の写真を撮っています。花を見ると、直ぐに構図が決まるのですが、これは長年撮り続けた結果でしょうね。
外出の際は、他人のファッションを見ることが多いのですが、“こういう人にはこういうデザインがいいかな”といつも頭の中で考えています。同業者でもこういう人は少ないようですが、日常、構図やデザインを考えていると、いざという時に沢山のデザインが浮かんできますので、迷いなく作品造りができていると思います。
また、今は生徒さんもいますので、私も負けずに勉強していますし、生徒さんからもたくさんの刺激を受けています。

――――友禅の体験教室ではどのようなことを行っているのでしょうか。

鎌滝:体験教室では、デザイン線が描かれた生地に色を塗ってもらうということをやっています。
小学生向けの体験もやっていますが、参加される方は、皆、集中してやっていますよ。中には線からはみ出ても気にせずにやる子や、もの凄く薄く色を塗るような子もいて、作品を見ていると性格があらわれているなあと思います。
また、この教室の場合、友禅染をビジネスにしたいと考えている方が参加されています。
私たちの時代は、先生の傍で一日中修業をしましたが、この教室では、一回あたり2,3時間の実習を月二回のペースで取り組みますが、3,4年通うと良い作品ができるようになりますので、昔よりも効率よく技術が習得できるのが特徴です。

――――お話の通り、先生のお教室では短い時間で、生徒さんが非常に精巧な作品を作られていますが、どのような指導をなさっているのでしょうか。

鎌滝:それにはまず、実際の生徒さんの作品を見ていただくのが良いと思います。Aさんは習って3年目ですが、今は、アラビア風のデザインを和柄で描いています。
A:今の作品は配色がすごく難しいのですが、先生に相談しながら色を選んでいますので、自分のイメージに近いものに仕上がってきています。

Aさんの制作の様子

B:私は友禅をはじめて一年くらいなのですが、この作品で三作目です。本業はデザインとは関係のない仕事をしているのですが、時々、絵本の挿絵を描いたりもしています。
鎌滝:Bさんは、もともと絵の経験がありましたので、初めて一年でもプロ並みの作品を制作されているのがわかりますね。

Bさんの制作の様子
Bさんの作品

――――色見本を使って配色を決めているのですね。

鎌滝:そうですね。慣れると頭の中で考えることができるようになりますが、慣れるまでは色見本を使って配色を考えていきます。

B:水彩画とは全然違いますので、色の混ぜ方などが非常に難しいです。

鎌滝:私たちの修業時代は、商品を造るための人手として期待されていた面もありましたので、一つができたら次の作業というようにゆっくりと時間をかけて習得していきました。そのため、仕事が一通りできるようになるには随分と時間がかかりました。
今の人は時間がありませんので、実際に作業をやってみて、ある程度できるなと判断したら、どんどんと次の技術に挑戦してもらっています。
昔は師匠の仕事を見て覚えることしかありませんでしたが、今は生徒さんの作業を見ながら、能力をうまく引き出すように指導することで、短い時間でもこれだけの作品を作ることができるようになっています。特に、基本の習得を終えて、自分の個性を出していく段階にハードルがあるのですが、ここの生徒さんにはこのハードルを超えてもらいたいと思って指導しています。
従来の教え方では独立するまでに非常に時間がかかりましたので、自分の家族くらいしか後継者がいないところが増えてきていると思いますが、今の時代のスピードに合わせて教え方も変化させていくことができれば、沢山の方に技術を伝えていけると考えています。


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東京手画像友禅工芸士鎌滝隆生

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