【伝統工芸見学】尺八 容山銘尺八

インタビュー
昭和初期、名だたる製管師を輩出した故・玉井竹仙師。その竹仙工房の丁稚番頭として竹仙の製管技術を受け継ぎ、現在まで数多くの尺八を造り続けてこられた引地容山さんに尺八造りについてお話をお伺いしました。
引地容山さん
都山流尺八樂会大師範
東京都・豊島区にて尺八の制作・販売を行う容山尺八工房を運営。
18歳の時、故・玉井竹仙師に弟子入り。竹仙工房の内弟子として修業を開始して以降、尺八の素晴らしさに魅せられて、その音色の可能性を追求すること40年。
現在では、尺八の制作のみならず、工房にて尺八教室を開講し吹奏指導にもあたっている。

―――― 現在、容山尺八工房を経営され、数多くの尺八を世に送り出されてこられたと思いますが、尺八と出会うきっかけについてお教えください。

引地:高校の就職担当の先生が尺八を吹いていたのが、私の尺八との最初の出会いでした。先生は文化祭で尺八を披露してくださったのですが、私たち生徒の方は最後までじっとして聴いていられず、演奏の途中で会場がざわついてしまったのですね。
すると先生からは「君たちはこれほど文化的なものが理解できないのか?」と叱られたのですが、私たちからすると、“下手だから聞いていられなかった”というのが正直な感想でした。
曲目が演歌であれば演奏時間も数分ですので、我慢して静かに聞いていることもできたのでしょうが、尺八は演奏時間が15~20分もありましたので、余程、上手でなければ聴いている方も退屈してしまうのです。まあ、生徒は正直ですからね。
そこで、他人に楽曲を聴いてもらうには、趣味でやっていたのでは駄目だなということを強く感じました。
その後、高校三年生になって就職先を考え始めたのですが、昭和45年頃は引く手数多で、就職課には沢山の求人が寄せられていました。その中に、尺八を造っている先生(故・玉井竹仙師)からの手紙があったのですが、それは“若くて有望な人がいたらぜひ紹介して欲しい”というものでした。私自身、勤め人には向かないと考えていましたので、直ぐに見学に行きました。師匠は大阪府豊中市にいらしたのですが、ちょうど、姉夫婦も豊中におりましたので一緒についてきてもらいました。
見学に行くと工房で尺八を造っているところは見せてもらえたのですが、実際に吹いているところは見せてもらえませんでした。そのため、尺八がどういうものが充分にわからないままでしたので、返事を保留にしていたのです。すると、暫くして師匠から実家に電話が入りまして、「来てくれるのですか?来てくれないのですか?」と問われましたので、「それでは、行きます」と返事をして、弟子になりました。
当時、尺八は高価なものでしたので5万円もするものもありました。これは一か月分の給料に相当する額でしたので、尺八造りで独り立ちすれば、月に一本造ればやっていけそうだという考えもあったのです。

――――修業時代はどのようなものだったのでしょうか。

弟子になると賄い付きの住み込みで修行します。私が弟子入りする前には兄弟子が一人いて、後から弟弟子が二人入ってきましたので、工房には全部で四人の弟子がいました。
私以外の弟子は既に尺八奏者としてもかなりの腕前でしたが、私は音が出せるかどうかという状態で入りましたので尺八の制作と同時に吹くための稽古も行いました。
尺八造りでは、調律するために実際に尺八を吹くのですが、これは通常の奏法とは違って、息をいっぱいに吹き入れて、尺八の性能を確認するのですね。このような吹き方は、実際の演奏には使わない吹き方なのですが、制作の過程で様々な吹き方を行うことで、吹く方も上手になっていったと思います。

――――プロの奏者になることはお考えにならなかったのでしょうか?

尺八の演奏は、大阪でも有名な先生に習っていたのですが、尺八奏者として飯を食おうとは思わなかったですね。奏者の世界は非常に厳しくて、こんなに厳しい世界で生計を立てるのは無理だと感じていたからです。でも、造る方でしたら入り込む余地があると思いましたので、私は造る方の専門家を目指しました。

――――その後、どのようなきっかけで独立を果たされたのでしょうか。

豊中の師匠の下で修業したのは18歳から24歳までで、その後、民謡ブームが起こりましたので、その時期に独立しました。
民謡では女性の歌い手で高い声の人もいれば、年配の男性で声の低い人もいます。そのため、伴奏の尺八奏者は長さの異なる尺八を10本くらいは用意していなくてはなりませんでした。ですので、民謡の大会となれば、大きなケースに尺八を何本も入れて持ち歩いたものです。
また、民謡は東北民謡が多かったのですが、東北民謡の集積地は東京でした。そのため、評判の先生のもとには100人もの弟子が集まっていたのです。この弟子のうち、歌い手が80~90人くらい、それ以外が尺八や三味線の奏者でしたので、尺八の奏者が5人いれば50本は売れますから非常に良い時代でした。
独立すると、当然、師匠は面倒を見てはくれませんので、竹は親分に当たる方から譲ってもらっていたのですが、この時代は文字通り飛ぶように売れました。
あの時の民謡ブームがあったので今でもやっていけているのだと思います。その時に竹も沢山仕入れましたし、道具も沢山仕入れました。その在庫が今でもしっかりと残っています。
現在の場所に店を構えたのは31歳のときですので、もう40年近くになります。
最初は楽器商の方と組んで尺八を卸していたのですが、一か所だけに卸していると、どうしてもその方の意向が強くなってしまいます。そこで、新たに店を開くことにしたのですが、そうすることでお客さんの流れも変わっていきました。今は、民謡をやっているお客さんが多いのですが、私が邦楽もやっていますので邦楽関係のお客さんも来られます。

――――尺八の作り方についてお教えいただけませんでしょうか。

引地:尺八を制作するだけであれば、目白工務店さん(東京都・目白)でも道具を販売していますので、自作は可能なのですが、一日や二日でできるというものではありません。尺八の外観を作ることはできても、楽器としての機能を持たせることが非常に難しいのです。
現在の尺八は、外観は昔のものと殆ど違いはないのですが、内部は非常に進歩しています。
尺八には切り出した竹をそのまま使用する昔ながらの地無し尺八と、尺八の中を地で埋めて調節する近代の尺八があります。
大正から明治に入る頃から竹の中を地で埋めて調律する技術が進歩していったのですが、それでも音を一定にすることは難しくて、良い楽器と悪い楽器の差が顕著だったのですが、現在は技術が更に進歩して音が一定になってきています。
また、やさしく吹いている分にはどれも同じように音が出ますが、乱暴な吹き方をしても音が飛ばないような尺八ができるかというと、これが非常に難しいのです。

――――それは竹の中の調律で決まるものなのでしょうか。

引地:そうですね。まず、竹の中の経が小さいと息が入っていかないのです。特に尺八は顎を使って様々な奏法をおこなうのですが、そういう複雑な吹き方ができないと、表現できる範囲が狭くなるのですね。

――――内径はどのようにして調節するのでしょうか。

引地:内径が狭い場合は人工的に埋めます。中を埋めるには漆、砥の粉、石膏に水を少し加えたものを使用します。これらで中を埋めた後は、内部を磨いて、漆を塗っていきます。尺八の外観を加工すると自然な感じが出ませんので加工しませんが、内部はとても人工的に造り込まれています。

理想的な内径は決まっていますので、決まった内径にできれば、きちんと音を出すことができます。

また、尺八には様々な長さのものがありますが、短いものほど、音程は高くなります。長さが一寸長くなると音は半音下がります。そして、中の経は長さに応じて決まるのです。

――――一本の尺八を造るのにどのくらいの時間がかかるのでしょうか。

引地:漆を使いますので、乾かすのに二週間、それから内側に地を付ける作業を行います。地は厚く塗るので、乾くのに二週間は必要です。それから細かい作業を行いますので、更に二週間程度必要となります。

――――尺八づくりで大切なのは良い竹を確保することだと思いますが、どのようにして竹を確保しているのでしょうか。

引地:竹にも様々な種類があって、私たちがよく目にするのは孟宗竹だと思いますが、この竹は太くならず、サメ肌のようにざらざらしていて割れやすいので尺八向きではありません。万博が開催された頃の大阪には沢山の竹林があったのですが、これらは尺八向きの竹ではありませんでした。
そのため、私の師匠は岡山県や奈良県、九州地方に出向いて竹を仕入れていました。
九州は浅瀬での海苔の養殖が盛んで、竹に海苔網を張ったものを海に立てます。この時に使う竹の量は千~万の単位であり、海に一年も刺しておくと腐ってきますので、竹の需要はものすごくあったのです。そのため、九州では一山全てが竹藪という山がいくつもありました。
また、浅草では浅草海苔が有名ですが、これにより房総半島にも竹藪がたくさんありました、こちらは尺八には向かないものでしたが、恐らく土壌の問題が関係しているのではないかと思います。
尺八にできる竹は、非常に限られていて、柔らかいものはダメです。また、節が七つ必要ですので、長さも必要です。穴の位置も決まっていて1㎜違うと音が変わりますので、竹を採取する際は物差しを持って竹藪を歩き回るのです。
多くの場合、尺八用の竹を採るのは専門家が担当します。専門家になると山に入って、サーっと周囲を見回すだけで、良さそうな竹を見付けることができます。そして、地上に出ている竹の長さから地中に潜っている竹の長さを目算して使えそうな竹を特定していきます。尺八用の竹は一本一万円で売れますし、良いときには一日で2、3本取れることもありますので、非常に良い収入になります。もちろん、ダメな時は一本も採れませんがね。
竹を採った後は最低でも4、5年は自然乾燥させます。この工房の地下や近くのマンションにも沢山の竹の在庫が保管されています。
しかし、竹を探す人がご高齢で90歳にもなりますので、今後もずっと掘り続けることはできないでしょう。ですので“この仕事もそろそろかな”と考えています。

――――尺八造りに使用する道具にはどのようなものがあるのでしょうか。

引地:まず、尺八を造るには専用のやすりが必要です。やすりを造るには、やすり台というやすりの原型となる鉄の棒を用意し、それを刀打ちのようにガンガンと叩いて鍛えていきます。これは職人の技が必要な仕事ですが、現在ではやすり職人がどんどんいなくなっていますので、道具の確保ではここが一番困っています。
また、漆刷毛も今では貴重な道具となっています。歯ブラシの毛先のような簡単な刷毛を作れる人はいるのですが、漆刷毛のように人毛を一本一本植えてブラシを造る職人も殆どいなくなっています。
また、尺八の場合、漆は保全のために塗っていますので中国製でも充分ですが、国産の漆は高くて数が減ってきていますね。
尺八を造る職人も今はかろうじていますが、50年後はどうなるでしょうかね。
吹き手の方は沢山いて、元気に活動を行っている方がたくさんいるのですが、手作りはどんどんと減ってきているのが現状です。

――――ここでは尺八を教えたりもされるのでしょうか。

引地:昔は教えることも仕事の一つとしてやっていましたが、来店される方もご高齢の方が多くなりましたので、いまはあまりやっていません。
また、販売に関しては、ネットで売ることが多くなっていますね。
現在は、海外向けのECサイトで安価なものを売ったりもしています。海外の方は尺八をフルートと呼んでいますので、原始的なフルートとしてとらえられているのではないでしょうか。購入される方には、イギリス、フランス、イタリア、ルーマニアなどの国の方がいらっしゃいます。一方で、サウジアラビア、イランなど中東のお客さんはいらっしゃらないですね。これらの地域は乾燥しやすくて尺八が割れてしまう可能性もありますので、尺八をやるには難しい環境なのだと思います。
海外向けの場合、節の数を気にされる方は多くありませんので、楽器としてしっかりとしているものを提供するようにしています。

――――お店には日本各地から来られるのでしょうか。

引地:尺八の場合、実際に吹いて自分に合うものを探す必要がありますので、地方から東京に出張された際に来店される方は多いですね。うちの場合、国内にお住まいの方には尺八を郵送して、実際に尺八を試してもらい、合わなければ送り返してもらうということもやっています。
最近はネット販売が主流になりましたが、以前、オークションサイトを見てみたら、自分が作った尺八が半分くらいを占めているのを発見して驚きました。まあ、私もそれだけたくさんの尺八を造ってきたということでしょうね。
メルカリにも沢山の尺八が出品されていますので、ネット販売の場合、それらの中古品とも競争している状況です。
ネットオークションの場合、定価の五分の一くらいで買えますが、試し吹きはできませんので、うちに来るお客さんは本当に自分が気に入った音色を探している方が多いと思います。
また、中国には尺八に似たシャオという菅楽器があるのですが、尺八の方が柔らかい音色を出したり、音程を上げ下げしたりすることが自在にできるので、尺八を求める方が増えてきました。
しかし、その一方で、日本の尺八の商標を騙る中国商社が出てくるようになりました。中国では登録商標に関して日本のような厳正な審査を行わないために、うちの屋号も中国で登録されてしまいましたので、後からうちが申請しても受理してもらえない状態です。
先に商標を登録することで尺八の中国市場を独占しようと考えているのでしょう。同業の方も商標に気を使う人は殆どありませんでしたので既に40銘柄くらいの尺八の商標が中国で登録されている状態です。しかし、中国ではそれが合法ですので、こちらでいくら非難しても効果はありません。
日本の尺八の商標を中国で登録した人は、日本の尺八グループにも所属していているのですが、中国では違法ではないため、悪いことをしているという感じはないようでした。
幸いなことにロゴマークは盗られませんでしたので、急いで商標登録を行いました。
現在、中国だけでなく、台湾、マレーシアにも当店の尺八が流通していますが、うちのマークが刻印された尺八はすべて本物です。ですので、ロゴを確認して購入して頂ければと思います。


容山銘尺八

〒170-0005 東京都豊島区南大塚3-5-3
https://www.yozan-hikichi.shop/


Youtubeチャンネル 尺八工房引地容山

尺八工房引地容山
I am Yozan Hikichi of the Yozan Shakuhachi Factory. Now, I am a Shakuhachi teacher, teaching about Shakuhachi in the factory, with my experiences in music perfo...