東京ジャーミイ・トルコ文化センターの広報・出版担当。
1949年、岡山県生まれ。1969年、早稲田大学政治経済学部入学。大学では探検部に所属。早稲田大学第二次ナイル川全域調査隊としてアフリカのスーダンへ渡り、ムスリムの村に滞在。帰国後、イスラムに関する書籍を読み、イスラム教徒の留学生と交流を深める。27歳のとき、イスラム教に改宗。ムスリム名はアブドゥル・カリーム。テレビ局、出版社などの仕事を経て現職。
――――モスクでは、イスラム教に改宗される方も少なくないように思うのですが、改宗のきっかけについて教えてください。
僕はイスラム教に改宗するパターンには二通りあると思っています。一つは、聖典を読んで、イスラムの教えが素晴らしいと思って改宗する人、もう一つは、僕が現地派と呼んでいるのですが、海外に行ってイスラム教徒の寛容さに触れて改宗する人です。
イスラム教に改宗する理由で最も多いのは現地組ですが、彼らは、海外でイスラム教徒の性格に触れ、帰国後にイスラム教に関する本を読んで、改宗することが多いのです。
現在、アメリカはメディアを通してイランを非難することが多いのですが、イランは中東諸国の中でも最も親切で寛容な国民性を持った国の一つです。そして、その国民性はイスラム教からきています。
残念ながら、日本ではイスラム教徒と触れ合う機会は殆どありませんし、イスラム教徒に対して偏見をもって判断することも少なくありません。メディアからは、テロに関する事件ばかりが報道され、イスラム教は怖いというようなイメージばかりが入ってきますので、日本にはイスラム教に関心を抱いたり、受け入れようとしたりする下地は少ないのではないでしょうか。
日本では、一神教であるキリスト教やイスラム教は殆ど広がっていませんが、それは日本人が外国の文化を日本的なものに作り替えて吸収していったことに理由があると考えています。
日本の伝統的な宗教である日本神道は、山や川など、あらゆるところに神様がいると考えていますので、仏教が伝わると、神仏混合という考え方が生れます。仏教にも大乗仏教と小乗仏教があって、教えは大きく違いますが、どちらも受け入れてしまうのが日本的な風土でしょう。それはシンクレティズムというよりも、日本的なものにした結果ではないでしょうか。
――――下山さんは、東京ジャーミイ・トルコ文化センターの広報・出版担当として、イスラム教の普及活動に従事されていますが、下山さんがイスラム教に改宗されたきっかけについてお教えください。
僕が大学生だった1970年代は、中東ではアラブ社会主義運動が盛んでした。しかし、イラクでもシリアでも、一部の政治的エリートはベンツに乗っているのに、一般人はどんどん貧しくなっていきました。その結果、アラブ社会主義運動は衰退していきます。その後、中東の学生たちはヨーロッパに留学に行くようになり、ヨーロッパの近代化に影響される人たちが増えていきました。日本では石油ショックが終わりを告げて、経済は低成長期に入った頃です。
僕は大学の探検部でスーダンに行ったのですが、帰国してみると、中東から日本に来ていた留学生たちは、イスラム復興運動の一翼を担うために、大学横断的に活動していました。
卒業後は出版社に勤務して、その間もイスラム教徒の人たちと交流は続いたのですが、ある日、人生の転機が訪れましいた。イスラム文化に理解のある僕に、イスラムの活動を支援して欲しいという声が寄せられたのです。
僕の方はジャーナリスティックなことに興味がありましたし、当時、話題になったイギリス映画の「アラビアのローレンス」を思い出して、
“アラブの人たちを一緒に活動をするのは夢があるな。”
“イスラム教徒になったら面白い世界に出られるのかな。”
と思って、イスラム教に改宗しました。ですので、聖典を読んでというように最初に信仰心があっての改宗ではありません。
改宗してからは、自分の心に水をやるようにして、日々、信仰心を大きくしていきました。そうすることで、自分の行動もイスラム教徒の行動に変わっていくのに気が付くのですね。それがだんだんと面白くなっていったということです。
――――改宗された後、周囲の方たちの反応は如何でしたでしょうか?
改宗した後、友人に“イスラム教に改宗した”と話すことがあるのですが、古い友人などからは“お前、よくイスラム教徒なんかになったな”と返されることがあります。この“イスラム教徒なんかに”の“なんかに”のところに強い偏見を感じています。もちろん、ムカッときますが忍耐していますよ。(笑)そのようなことを言われるたびに、“こいつらにイスラム教を教えてやろうじゃあないか!”という思いが強くなっていきました。
自分の専門は出版業でしたので、イスラム教の本をつくろうと思って、イスラムに関する出版を始めたのです。
それから暫くして、ここ(東京ジャーミイ)からスカウトの話しが来たのですが、当時は印刷プロダクションを経営していましたので、そこをたたんで、いまの仕事に就くことになりました。
――――広報担当としてどのような活動を行っているのでしょうか。
ここは日本で一番大きなモスクですが、ここの広報を日本人がやっているということが、メディアには珍しいのでしょうか、イスラム教に関する事件があるたびに、メディアが取材にやってきます。
最初は広報担当として外国人を出そうと思っていたのですが、日本語がうまくできないので、次第に僕がインタビューに答えるようになってしまいました。
外国人の仲間の中には、「メディアは沢山話を聞いて、少ししか記事にしないので相手にしてはダメだ」という人もいます。しかし、僕は、“メディアは絶対に大切だ”と思っています。それは、カメラの向こう側には何百万人もの人がいるからです。
2001年のアメリア同時テロのときにも取材されましたが、イスラム教はテロ組織であるかのような報道ばかりでしたので、イスラム教が正しく理解されるために奮闘しました。その後も定期的に朝日新聞や毎日新聞など、大手メディアの取材は続いていますがその度に取材に応えています。
――――偏見に対して正しい理解を普及する活動は非常に困難なものだと思いますが、実際にどのようなお話をされるのでしょうか。
先日、ある大学に呼ばれて、教職課程の方向けの授業で話をしました。その授業で、友人のセネガル人の方の体験談をご紹介しました。
ある日、友人のセネガル人の方が娘さんと二人で公園のベンチに座っていると、向こうから日本人の親子がやってきました。日本人の子どもは5~6歳くらいだったそうですが、自分たちの所にやってきて、「どうして色が黒いの?」と尋ねたそうです。母親の方は、子どもの行動を見てオロオロしているだけでしたが、聞かれたからには答えないわけにはいきません。セネガル人の友人は「世界には様々な人種の人たちがいて、それぞれ肌の色が違うんだよ」と答えたそうです。
恐らく、セネガル人の娘さんも、学校に行ったら教室で同じようなことを聞かれているのではないかと思います。「お前、何で色が黒いんだよ」とね。
でも、その時に質問に応えられる大人がいなければ、誰も理解できません。
「人間には、人種というものがある。日本人は黄色いけど、アフリカ人は黒くて、パキスタン人は褐色、欧米人は白色。だけど、人間は皆、同じなんだ。」
教員になる皆さんには、このように生徒の前で説明のできる先生になって欲しいと言いました。
また、ある学校では父母会に参加したお母さんがスカーフを着けてきそうなのですが、クラスの子がその娘さんに「お前の母ちゃんはテロリストなのか?」と言ったそうです。娘さんは家に帰って「もう父母会には来ないで」とお母さんに言いました。そういうことが、今も日本で起きているのです。
人種が違っても同じ人間であるということをちゃんと理解することが大切なのですが、イスラム教徒に対しては、特に強く偏見が入っていると思います。
最近はテロに関する偏見が多いのですが、昔は、砂漠の国にあるとんでもない宗教という偏見もあって、それらを取り除かないといけないと思っています。
イスラム教は人類のおよそ四分の一が信仰する世界宗教です。アメリカのあるシンクタンクのシミュレーションによると、今後、キリスト教徒の数を逆転するとも言われています。そのことを正しく理解して欲しいと願っています。
――――ジャーミイには沢山のお子さんが来られていますが、親から子へ、どのように信仰を伝えられているのでしょうか。
ここには子どもたちが沢山いるでしょ。特に土日には子ども達がたくさん集まってきます。
本来、宗教とは学校の授業の時間だけでやるものではありません。宗教とは日々の生活そのものです。
そして、コーランとは、生れてから死ぬまでの、長い人生の旅路のガイドブックだと思っています。
仏教も素晴らしい教えですが、“悟りを得よう”と考えるから難しい話になってしまうのです。
イスラム教がこれほど広がっているのは、教えがわかりやすいからではないでしょうか。
また、親しい人から聞いた話ですが、子どもが信仰の道に入るには10歳までの時期がポイントなのだそうです。
お父さんがやっていることは素晴らしいものだと思えば、“信仰を引き継いでいこう”という思いが芽生えます。理屈ではなく、信仰は信頼関係で伝わっていくのでしょうね。
先程、3時半の礼拝がありましたが、小さな子供たちの半分くらいは、お父さんやお母さんの周りを走り回っているだけで礼拝には参加しませんでしたよね。それは、私たちが礼拝に参加するよう強制しないからです。でも、10か月も経てば、ほとんどの子どもたちはお父さんの横に座って、礼拝のまねをし始めるんですよ。
それは、日本の伝統工芸などでも同じではないでしょうか。職人のお父さんがひたすら仕事に打ち込んでいる姿をみた子供は、父のその姿を忘れることはないでしょう。信仰においても同じで、お父さんは子どもに、礼拝の意味を教えるのではなく、祈っている姿を見せるのです。
近代化の流れの中で、都心に労働者として働く人が増えた結果、核家族化が進んでいきました。その結果、親子の繋がりが薄れていって、親の姿を、自信を持って子どもに見せようということが少なくなっているように思います。
今の教育では礼拝の意味を教えることから始めるのでしょうが、僕は、無条件に“信仰は素晴らしい”ということを伝えることが大切だと思っています。
東京ジャーミイ・トルコ文化センター
住所:東京都渋谷区大山町1-19 電話:03-5790-0760
開館時間:毎日10時〜18時まで。
URL:https://tokyocamii.org/ja/
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