【伝統工芸見学】江戸表具 経新堂 稲崎 (後編)

インタビュー

―――作品は薄い紙に書かれていますので、作品の裏の紙を取り換えるには、非常に高度な技術が必要なのではないかと思うのですが。

稲﨑:剥がせるように仕事をすることが大切なところですね。
現在は小麦粉を原料とする生麩糊(しょうふのり)を使用しますが、純粋なでんぷんでできているため、水分を加えると百年たってもきれいにはがすことができます。
平安時代は豆糊やこんにゃく糊、米糊など様々な糊を使ったのですが、時代とともに駄目な糊は使われなくなって生麩糊が残りました。
しかし、戦後、日本が焼け野原になったとき、木材が足りなくなってベニヤ板を使い始めました。ベニヤ板の接着には風雪に耐える必要があることから、化学糊が使われるようになりました。これが重宝されてどんどん世の中に出回ったのですが、扱いが簡単なので表具にも使われるようになりました。しかし、剥がすことを考えてつくられてはいませんので、数十年後に剥がそうとしても剥がせません。そのため、現在では再び、生麩糊が見直されているのです。
また、昔はエアコンがなかったので湿度は60%くらいでしたが、今の一般家屋では湿度が20%を切ることがあります。すると、紙や裂地が収縮していくのですが、その後、雨が降って湿度が上がり、再び湿度が下がるということを繰り返していきますと、次第に掛軸の形体がくずれてしまいます。そのため、現在は、保存が非常に難しい環境になっています。

――――表具師の技を身につけられるために、どのような修業をされたのでしょうか。

稲﨑:店に正式に入ったのは24~25歳の頃です。しかし“門前の小僧、習わぬ経を読む”と言われるように、小学生の頃から手伝いをしていましたので、入ったときにはある程度のまね事はできていました。
どの職種でも同じだと思いますが、仕事を覚えるには、まずは目で見て覚えます。特に表具屋は、大切な作品を扱う仕事ですので、実際のもので練習することはできませんからね。
最初は掃除しかやりませんが、師匠が何をやっているのかをしっかりと見ていて、仕事が終わると実際にやってみて、師匠から“やりなさい”と言われたときには、ある程度できていなければいけません。
今の若い人は“言われたことしかやらない”と言われているようですが、“今までやったことがないのでできません。”というのでは、この仕事は難しいでしょう。

――――師匠の仕事を常に見ているということが非常に大事なことなのですね。

稲﨑:そうですね。あとは自己研鑽でしょうか。私の師匠は父ですが、父がやっていなかったことも覚えていかなくてはなりません。それには理論が理解できている必要があるのです。そのため、昔の人たちが作ったものを見て、“何故こうなっているのか”と突き詰めていきます。作品が直しのために持ち込まれたときに、“どのようにして作られているのか”、“どのような紙を作っているのか”と研究します。全ては先人たちが教えてくれるのです。
カルチャーセンターの場合、少しかじっただけで“できました”と言っても良いのかもしれませんが、表具師の世界では、それでは何もできないのです。

――――表具師のお仕事は、糊をつけて紙を貼ったり剝がしたりということが中心となるのでしょうか。

稲﨑:表具師の仕事は沢山ありますが、基本的には紙と糊を使うということですね。
糊を使うにも、糊の濃さや付け方、ハケの使い方など知らなければならないことは沢山あります。そこには作品と紙と糊しかありませんが、紙には厚みもあるし、種類も豊富にあります。
糊付け10年といわれますが、その先には、掛軸を仕立てるとか、物を作っていくというセンスを求められる仕事が待っています。“この作品にはどのような裂地を持ってくるべきか”という問題には誰も答えてくれませんので、自分で感性を磨いていくしかありません。

――――展示会にも出展されるそうですが、どのような展示会があるのでしょうか。

稲﨑:私は東京都の表具組合の理事もしているのでが、年に1回は東京都立美術館で表装展を開催しています。(但し、コロナの影響により、ここ二年間は開催していません。)これは表具屋さんの展覧会です。お店としては、全国の百貨店にて東京職人展のようなものに呼ばれることがあります。

――――歴史のある表具店には古い道具や記録が残っているのではないかと思いますが、それらを拝見することは可能でしょうか。

稲﨑:東京のお店はみんな空襲で焼けてしまいましたので資料がありません。うちの場合、焼け野原から出てきたものは焼き印だけでした。焼き印はおそらく江戸時代から使ってきたものだと思います。それ以外に残っているものは過去帳くらいですね。これだけは、火事の時には必ず持って逃げるものです。
今、江戸表具を国の伝統工芸品にしてもらおうと活動しているのですが、“表具師に関する資料を提出しなさい”と言われましても、戦争で全て焼けてしまって残っていませんので、当時の雑誌などをしらみつぶしに探して資料を集めている状況です。

――――これまで掛軸を拝見しても、表具に関心がいくことはありませんでしたが、実際は、作品に見合った表具があることで、作品が引き立っているのですね。

稲﨑:そうですね。しかし、表具が注目されることは少ないので、職人が減ってしまうのです。例えば美術館で北斎展が開催されても、図録には作品の写真は掲載されますが、掛軸まで掲載されることは極稀です。しかし、作品だけを見るのと、掛軸全体を見るのとでは、印象は全く変わってきますよね。その上、大半の掛軸は、時代とともに何度も直されています。
美術館に展示する際に、作家は北斎が作りました、掛軸は表具師の誰々が作りましたというような一文があると、表具屋になりたいという方も増えてくるのではないかと思います。

――――伝統工芸の分野では後継者問題が深刻ですが、表具屋も同様なのでしょうか。

稲﨑:表具店は少なくなってきましたが、これは後継者問題とも関係しています。今では表具屋もブラック企業にならないように、掃除もできないような新人に対しても、給料や社会保障を付けなくてはなりません。そして、一人前になるには時間がかかるため、“とりあえずこれだけやりなさい”といって仕事を与えると、その分野だけのスペシャリストになってしまい、表具師としてトータルで仕事ができる人を育てられなくなっています。
そのため、昔の丁稚制度というものは、職人の世界の中では悪いものではなかったと思います。丁稚として店に来れば、最初は小遣い程度しかもらえませんが、食事も住む場所も面倒を見てもらえて、独立する時にはお店を出すためのお金も出してもらえました。一人前の職人になることを考えたときに、これほど良い制度もなかったのではないかと思います。しかし、今それをやるとブラック企業になってしまうのです。
 今の日本は中小企業が生きづらい政策ですので、私たちのような小さなお店はどんどんなくなってしまうと思います。
そのため、表具師の仕事に携わろうとする方は、日本画の修理など、修理・保存をメインに考えていますので、美術大学の文化財保存学専攻などを経て、国宝修理装潢師連盟の会員として活動される方が多いようです。
私は、文化を守るということは、必ずしも文化をフューチャーすることではないと考えています。文化を守ることは、文化を下支えする人を守ることだと思うのです。例えば、表具屋を守るには、表具師が使う道具を作る人を守らなくてはなりません。表具師は、紙、布、糊、膠、ハケなど様々な道具や材料を使いますが、今、膠を作る人が日本にいるでしょうか?刷毛を作る人はいるでしょうか?表具師よりも稀な職業となっています。動物の毛から良い刷毛を作ってくれる人がいないと良い仕事はできません。
そのように様々な人たちの支えがあって、私たちの仕事が成り立っているのです。

――――先日、三味線屋さんお話をお伺いしたのですが、国内では猫の皮を調達できないから、海外から輸入しているというお話もありました。

稲﨑:昔は、千住の荒川沿いで猫の皮を剝いで三味線の皮を作っていたそうですね。
表具屋では、絵具の定着を強化するために膠(にかわ)を足すのですが、国内で売られている膠は、殆どが牛の膠です。
そもそも江戸時代、膠を作るのには鹿を使っていました。当時、牛は農耕用で大変貴重なものだったからです。鹿は皮を膠にして、毛は刷毛にして、肉は食料としていましたので、余すところなく使っていました。しかし今はと殺量も減り表具師が使える鹿膠を入手することは非常に困難な状況です。
現在、奈良県では鹿の数を減らすために狩りを行っています。捕まえた鹿はジビエにして販売するのですが、皮は捨てるしかないとのことでしたので、私たちはその皮を使って膠を作ろうとしています。
このように、一つひとつ問題を解決して文化を残そうとしているのです。
また、表具師は仕事の範囲が広いので、沢山の道具を使います。屏風を作る場合、鋸も使うし、カンナも使います。建築関係で使う職人の道具は殆ど使っていますので、表具師が使う道具の種類は職人の中で一番多いのではないでしょうか。
丁稚時代は道具の使い方を覚えるのに、夜な夜な建具屋さんに出かけて行って、手入れの仕方や使い方を教えてもらうこともあります。このような仕事は、就労時間内に仕事を終えなければならない時代の人には難しいかもしれませんね。

――――オフィスワークとは全く違う世界ですね。

稲﨑:そうですね。しかし、できるようになったらこれ程、強い仕事はありません。
古寺には古文書や掛軸が沢山ありますし、譜代の武家や公家にも手入れをしなくてはならないものが沢山あります。古いものは沢山あるのですが、それを扱える技術者が圧倒的に足りないのです。
襖や障子、壁の和紙張りも経師の仕事でしたので、至る所に仕事がありました。
明治時代には、ここから京橋までのエリアに日本橋組合があって沢山の表具屋がありました。戦後すぐには約50件にまで減少して、現在では5件ほどしかありません。
今、江戸表具を守るための研究会として表粋会を運営しています。これはプロの若い人たちを集めた勉強会です。そこでは、二年に一回、「掛軸と絵画の未来展」を開催、企画しています。東京藝術大学をはじめ、東京近郊の美大や造形大の学生たちに声をかけ、掛軸するための絵を描いてもらい、それを掛軸にするのです。
そこでは、実際の軸絵を見てもらい、今の絵の描き方と昔の絵の描き方の違いを学ぶための勉強会なども開催しています。学生たちは、昔の絵がどのように描かれているのか、今の絵との違いを興味深く学んでいます。

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屋号:経新堂稲崎表具店
住所:〒103-0007 東京都中央区日本橋浜町2-48-7
最寄り駅:都営新宿線・浜町駅 徒歩3分、半蔵門線・水天宮前駅 徒歩10分、都営浅草線・人形町駅 徒歩15分
電話番号:03-3666-6494
FAX:03-3666-6989
メール:info@kyoushindo.com

・江戸表具研究会「表粋会」
https://hyousuikai.org/

・江戸表具チャンネル Produced by 表粋会 – YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCrHL8jg8XsYr0uELrXL-VeA

美大生と表具師がコラボした 新しい日本画・掛軸のかたち 『第2回 掛軸と絵画の未来展』 ~美大生と表具師 紙文化を未来へつなぐ~
https://www.value-press.com/pressrelease/256997

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